声が出せるまで

家に帰ると言葉を発することができない。私の生活。

話はできないが仲のいい母

こんばんは。毛糸を見ていると心が安らぐ。アイコンも毛糸で作りました。

いとです。

 

この記事を書きながら涙が止まらなくなってしまった。

きっとこの先も心をえぐるような気持ちで書き続けないといけないんだ。

それでも私は負けない

 

今日は母について話そうと思う。

家族のことは自分の中でもまとめておかないといけない。

 

最初に話しておく。

両親はとても仲が悪い

子供の頃の思い出と言えば、

母の怒鳴り声と父のどうしようもない小言だ

離婚したらあなたはどっちに行くの?

と言われたのは幼いながらも鮮明に覚えている。

後はほとんど覚えていない。

嫌な頃の記憶は忘れてしまうと言うが、本当にその通りだと思う。

他に何を覚えているのかと聞かれれば、

家に帰っても誰もおらず、夕飯が机の上に置いてあったことかな。

 

さて、

私が小さい頃からずっと働いていた。

後から聞いた話や、昔の写真を見ると、色々と連れて行ってもらっていたようだ。

 

母は頭の固い人だった

自分の考えしか受け入れられない人

よく言う古い考えの人ってやつかもしれない。

 

そんな母の下で育った私は

箱入り娘だった。

 

中学生の頃、

部活で帰りが夕方を過ぎたら、部活のはずがない!と学校に電話をする

高校生になるまで電車で出かけてはいけない

高校生の頃、

当時お付き合いしていた人と夜の10時頃まで遊んでいた。

母は連絡先を知っている友人に電話をし、捜索願いを出すと騒ぎ立てた。

 

友人を紹介すれば、

あの子は嫌な子だ

彼氏を紹介すれば、

変な顔だ、気に入らない

 

そう、何でも否定するのだ。

どうせあんたにはできないわよ。

あんたには無理だったのよ。

そんなことも簡単に言ってしまう人だ。

 

高校生の頃、反抗期がきた

私は大いに荒れた。

それまで会話をしていた母とも一切口を聞かず

ヒステリックに怒鳴り散らす母にも負けずに睨み付けた。

 

学校ではいじめに遭い、家でも居場所がなくなった。

最悪だった。

自分が自殺をするか、親を殺してしまうとまで思った。

 

 

ある日母が言った

今まで悪かった。父親と喧嘩しないようにするから。

 

母の中では、両親の仲が悪いせいで私が荒れたということにまとまったらしい。

確かにそれは大きかったと思う。

毎日喧嘩する両親

父の悪口しか言わない母

楽しい記憶なんて何もないもの。

 

でもそれだけじゃなかったんだけどね。

もうその頃から私は何も話せなくなってしまったから

手遅れだった。

 

何を言っても否定される。

無駄。

きっかけは、そこだったんだろうな。

 

でも不思議と母を恨んではいない。

何だかんだ言っても母親だ。

母の愛情は感じていたし、ちゃんと嫌いにはなれなかった。

 

その頃から随分と時間は経って

母も私も少しずつ変わっていった。

言葉はないけれど、

一緒に出掛けることも多いし、同じことに笑える時間を過ごせるようになった。

 

一般的な仲の良い親子ではない

それでも私の狭い世界では大きな進歩だ

 

 

これで声が出れば、もっと良かったのにね。

 

 

 

いと