声が出せるまで

家に帰ると言葉を発することができない。私の生活。

話したことのない父

こんばんは。

私の通っているヨガの先生が、いつもにこやかで、穏やかーなリズムで話をする魅力的な人。

そんな大人になりたい。いとです。

 

 

今日は父。

の話をしたいんだけど、正直言って話すことがない。

よく知らないのだ。

分かることだけ書いてみる。

 

ずっと働いてる人

ほとんど家にいない人

お金で解決する人

言い訳ばかり言う人

不潔な人

勉強だけできる人

 

これが私の中の父親像である。

どうにかしていい所を探したいけど、ごめん無理だ

30年間好きだったことがないのだ。

養ってくれた人に対して失礼だとは思うが、それができない。

記憶のある中で、父と会話をしたことがない。

私が男性を苦手とするのも、父が苦手だということが大きいんだと思う。

 

朝仕事に出て、夜中11時~1時頃に帰ってきていた。

休みの日も何をしているか分からない。

今は定年退職しているが、毎日職場に行っているようだ(たぶん)

こんな生活で、会うことがなかった。

残念ながら小さい頃の父との思い出なんて一つもない。

家に帰れば母と仲悪くしていたのを見た位かな

 

お金は持っているらしい

家族に内緒でマンションを持っているらしい

 

父の情報は「らしい」ばかりだ。よく知らないから。

 

私が見た事実を話すとなると

 

とにかく部屋が汚い

自分のスペースを片付けられない

 

よくワイドショーで出てくる

ゴミ屋敷

父が独り暮らしだったら、確実にあんな家になっていると思う。

部屋のドアが閉まっているのを今まで見たことがない

最後に見たのは20年近く前

足の踏み場なんてもちろん無い。物がなんでもかんでも山積みにされていた。

もう今では中を覗くことさえ不可能だが、第三者から見るとガラクタとしか思えない物があふれ出している

冗談抜きで異臭がする

そんな部屋が私の隣の部屋だ。

 

私は少し潔癖な部分があり、物がきちっと並んでいるのが好きな性格

なので、このゴミの横を毎日通らないといけない

吐き気さえする。

 

父が帰宅すると家族は自分の部屋に戻る

 

そんな生活を今している

父親に関しては、距離を縮めたいとは思わない

もう一度言うが

養ってくれた人に対して

本当に申し訳ないんだけどね。

今まで出会った人の中で、一番苦手です。ごめんね

 

 

 

いと

 

 

話はできないが仲のいい母

こんばんは。毛糸を見ていると心が安らぐ。アイコンも毛糸で作りました。

いとです。

 

この記事を書きながら涙が止まらなくなってしまった。

きっとこの先も心をえぐるような気持ちで書き続けないといけないんだ。

それでも私は負けない

 

今日は母について話そうと思う。

家族のことは自分の中でもまとめておかないといけない。

 

最初に話しておく。

両親はとても仲が悪い

子供の頃の思い出と言えば、

母の怒鳴り声と父のどうしようもない小言だ

離婚したらあなたはどっちに行くの?

と言われたのは幼いながらも鮮明に覚えている。

後はほとんど覚えていない。

嫌な頃の記憶は忘れてしまうと言うが、本当にその通りだと思う。

他に何を覚えているのかと聞かれれば、

家に帰っても誰もおらず、夕飯が机の上に置いてあったことかな。

 

さて、

私が小さい頃からずっと働いていた。

後から聞いた話や、昔の写真を見ると、色々と連れて行ってもらっていたようだ。

 

母は頭の固い人だった

自分の考えしか受け入れられない人

よく言う古い考えの人ってやつかもしれない。

 

そんな母の下で育った私は

箱入り娘だった。

 

中学生の頃、

部活で帰りが夕方を過ぎたら、部活のはずがない!と学校に電話をする

高校生になるまで電車で出かけてはいけない

高校生の頃、

当時お付き合いしていた人と夜の10時頃まで遊んでいた。

母は連絡先を知っている友人に電話をし、捜索願いを出すと騒ぎ立てた。

 

友人を紹介すれば、

あの子は嫌な子だ

彼氏を紹介すれば、

変な顔だ、気に入らない

 

そう、何でも否定するのだ。

どうせあんたにはできないわよ。

あんたには無理だったのよ。

そんなことも簡単に言ってしまう人だ。

 

高校生の頃、反抗期がきた

私は大いに荒れた。

それまで会話をしていた母とも一切口を聞かず

ヒステリックに怒鳴り散らす母にも負けずに睨み付けた。

 

学校ではいじめに遭い、家でも居場所がなくなった。

最悪だった。

自分が自殺をするか、親を殺してしまうとまで思った。

 

 

ある日母が言った

今まで悪かった。父親と喧嘩しないようにするから。

 

母の中では、両親の仲が悪いせいで私が荒れたということにまとまったらしい。

確かにそれは大きかったと思う。

毎日喧嘩する両親

父の悪口しか言わない母

楽しい記憶なんて何もないもの。

 

でもそれだけじゃなかったんだけどね。

もうその頃から私は何も話せなくなってしまったから

手遅れだった。

 

何を言っても否定される。

無駄。

きっかけは、そこだったんだろうな。

 

でも不思議と母を恨んではいない。

何だかんだ言っても母親だ。

母の愛情は感じていたし、ちゃんと嫌いにはなれなかった。

 

その頃から随分と時間は経って

母も私も少しずつ変わっていった。

言葉はないけれど、

一緒に出掛けることも多いし、同じことに笑える時間を過ごせるようになった。

 

一般的な仲の良い親子ではない

それでも私の狭い世界では大きな進歩だ

 

 

これで声が出れば、もっと良かったのにね。

 

 

 

いと

「緘黙症(かんもくしょう)」知っていますか?

こんばんは。

ブログを始めて2日目。初心者いとです。

 

さて、

 

緘黙症(かんもくしょう)

 

聞いたことあります?

私はつい数日前にこの病気を知った。

 

以下wikipediaより引用

 

場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)、選択性緘黙(Selective Mutism)とは、家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面、状況では全く話すことができなくなる現象を言う。幼児期に発症するケースが多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E9%9D%A2%E7%B7%98%E9%BB%99%E7%97%87

 

はい。

私と逆の状態

私の場合は家庭では話せない

外では話せる

 

これはどこかの記事で見た言葉だけど

 

話さないのではなく、話せない ということ

 

声が出ないのです。

 

私の場合は幼少期になったわけではない。

小さな頃は会話ができた。

やがて人並みに反抗期が来て

色々なことがあって

気が付いたら話せなくなっていた。

 

勇気がないだけ

甘えてるだけ

 

自分でもそう思ってた。この歳まで何やってるんだろうって

でも

この病名を見て、

もしかしたら同じ悩みを持った人がいるのかもしれない

病気なのかもしれないって思った時

治せるんじゃないの?

という希望が生まれたのだ。

 

もう一生このままだろうと思っていた私にとっては大きな一歩だった。

 

wikiに書いてあるように、時間が経ってからの治療は難しいようだ

限定された有効性[編集]

場面緘黙の治療実績が多くあり、かつ効果の高い治療法が行動療法である。しかし、場面緘黙の形成機序から考えると、その有効性は限定される。つまり、治療のタイミングとしては、症状が重篤化する前の初期段階でなければならず、必然的に低年齢であることが必要となる。

 

 

でもせっかく知ることができた。

これから自分と向き合って、

いつか声が出せる日が来ると信じて・・・

頑張ってみようと思う。

 

本日はここまで

 

いと

 

 

 

初めまして。いとです。

こんばんは。

この度ブログを開設しました「いと」と言います。

 

外では一見普通の社会人。

どちらかというと社交的でおしゃべりです。

「いつも笑顔で」

を大事に過ごしています。

 

ですが

 

 

私は家で言葉を発することができません。

目 と 手 でしかコミュニケーションが取れません。

こんな状態で10年以上過ごしています。

 

色々なSNSを利用していますがどこにも書いたことがありません。

仲のいい友人にも真剣に話したことがありません。

 

ですが、30歳という節目の年を迎え、自分の人生・生活を振り返ってみると、

やはり・・・しっかりと向き合わなければいけないことだと思いました。

ブログに書くことによって、自分自身何か変わるチャンスになるかもしれないという希望。

そして同じ悩みを持った人がもしいるなら、情報交換になればと思い始めました。

 

きっと多くの人に理解されないと思います。

それでも書くと決めました。

 

自分と向き合って、少しずつ更新していきます。

よろしくお願いします。